モノづくりの強さ過信を危惧す

 ■IT産業の潮目が読めぬ日本勢 《米国で進むパワーシフト》

 二〇〇四年の米国IT(情報技術)産業は、IBMによる中国企業聯想集団(レノボ
 ・グループ)」へのパソコン事業売却(十二月)と、インターネット検索エンジン最大
 手・グーグルの株式公開(八月)という二つの対照的な出来事によって記憶されること
 になろう。

 年に一兆円以上売り上げるIBMのパソコン事業の売却額が二千億円にも満たなかった
 一方、売上高約三千億円のグーグルの株式時価総額は五兆円を超えた。この差は何を意
 味しているのか。インターネットの「こちら側」から「あちら側」へのパワーシフトが、
 米国では確実に起きているのである。

 インターネットの「こちら側」とは、インターネットの利用者、つまり私たち一人一人
 に密着したモノの世界である。パソコン、携帯電話、カーナビ、コンビニのPOS端末、
 高機能ATM、薄型テレビ、DVDレコーダー、デジタル・カメラ、そしてこれからは
 無線ICタグ。皆、インターネットと私たち一人一人を結びつけるつなぎ目の部分に用
 意するモノである。

 インターネットの「あちら側」とは、インターネット空間に浮かぶ巨大な「情報発電所
 とも言うべきバーチャルな世界である。いったんその巨大設備たる「情報発電所」に付
 加価値創造の仕組みを作りこめば、インターネットを介して、均質なサービスをグロー
 バルに提供できる。

 《激化する付加価値争奪戦》

 グーグルをはじめとする米国インターネット企業による「あちら側」のイノベーション
 は、手触りのある「こちら側」のモノづくりと違って目に見えない。それだけに何が起
 きているのかがわからない。本紙でもグーグルについての報道は少ない。しかし米国の
 IT分野のトップクラスは皆、その才能の生かし所を「あちら側」での「情報発電所
 の構築と見定めている。

 一方、日本企業は、モノづくりを中心とした従来の強みを生かして勝負したいという気
 持ちが強い。だから「こちら側」のモノに、より多くの付加価値をつけることを考えて、
 次から次へと新しいモノを出す。モノに対して冷淡で安さに重きを置く米国の消費者と
 違い、モノが大好きな日本の消費者は少し高くても新しいモノを買う。よって「こちら
 側」の世界については、日本市場が世界の最先端を疾走し、米国市場の遅れは目を覆う
 ばかりとなった。

 ここ一、二年、「IT産業における日米の関心が明らかに違う方向を向いたな」と感ず
 ることが多くなったのだが、それは、日本が「こちら側」に、米国が「あちら側」に没
 頭しているからなのである。これを現象面でだけとらえれば、日本と米国が独自の特色
 を生かして棲み分けているわけで、悪いことではないようにも見える。しかし事の本質
 はそう簡単ではない。「こちら側」と「あちら側」が、いずれ付加価値を奪い合うこと
 になるからである。

 インターネットとパソコン(あるいは「こちら側」のモノ)がつながって、私たちが某
 (なにがし)かの利便性を感ずるとき、その利便性を実現している主体が「こちら側」
 のモノなのか、それとも「あちら側」からインターネットを介して提供されてくる情報
 やサービスなのかということを、消費者の多くはあまり意識しないものだ。しかし、こ
 こがこれからの付加価値争奪戦の戦場になるのである。

 《日米企業分かつ未来戦略》

 米国が描くIT産業の将来像は、付加価値が順次「あちら側」にシフトしていき、「こ
 ちら側」のモノはコモディティ(日用品)になる、誰でもいいから中国で作って世界に
 安く供給してくれればいい、というものだ。IBMパソコン事業の中国企業への売却は
 それを象徴している。むろんこれから先、米国が描くシナリオ通りにIT産業が発展し
 ていくとは限らない。

 ただ私が危惧(きぐ)するのは、モノづくりの強みを過信し、そこにしか生き場所がな
 いと自己規定するあまりに「こちら側」に没頭する日本企業が、米国離れを引き起こし
 ていることだ。違う方向に関心が向かっている米国の現在を「われ関せず」と理解しよ
 うともしていないことである。

 東芝富士通とNECの時価総額を全部足し合わせても、創業からたった六年、わずか
 二千七百人のグーグルの時価総額に及ばないのはなぜか。いったいグーグルとは何なの
 か、その台頭は何を意味するのか。本来そう問い続けなければいけない日本企業の経営
 者が、インターネットのことを何も知らない。米国離れを起こしている場合ではないの
 である
(【正論】米ミューズアソシエイツ社長(在シリコンバレー) 梅田望夫 産経新聞